「吾輩は犬である」、その2



 近頃この界隈では吾輩も有名になった。来る者は拒まず、争いを好まず、すべての人に愛想を振るまく生来の処世術にたけた吾輩に敵はいない。
 我が主の年賀状もすっかり犬だらけだ。近頃は写真の印刷が手軽にできるので犬の写真だらけである。ところが我がご主人はあの真っ黒けっけの上に色を塗るたくった絵を送ったのである。なんという心臓だろう。どうやら内心自慢だったようだ。しかし送られた方は大変である。あれを犬と判別できる人は天才だろう。
 すっかり吾輩も大きくなった。主は子犬のかわいいときはあっという間だという。失礼な。吾輩はいつだってかわいい。しかし兄貴同様現役となった。おかげでときどき出くわす特別な雌のにおいにはなんともたまらん。だんだん気が遠くなる。しかしご主人はいつも通りじっとしてろという。生殺しである。そのうえ犬畜生に理性がないのはわかるが悟性ぐらいはあるだろう。いうことを聞いて我慢しろと首根っこを締め上げる。犬差別だ。理性だ悟性などといってもその違いなど判らん。そもそも理性とは悟性とはなんぞや。いつもながらあんぽんたんの言うことはわからん。甘くみられたものである。
 散歩ではいろいろな同族に逢う。ゴールデンの静ちゃんはとってもおっとりとした優しい娘である。吾輩が匂いを嗅いでもちっとも嫌がらない。歯を見せたところなど一度も見たことがない。ゆっくりのんびり歩く。吾輩に合う歩調なのでとことこ付いて回る。愛想がいいわけではなく、やさしいので嫌がらない。ダルメシアンのぴょん子は一時も止まっていない。ぴょんぴょん走り回っている。匂いを嗅ぐどころの騒ぎではない。天真爛漫、運動一筋である。しかしこれはこれで問題ない。若年軍団は走り回るのが命である。我が道を行く和犬の姉御だって小さいときは飛び回る。吾輩もまだ若いので軍団と一緒になって走り回っている。藪の中を嗅ぎまわるだけではないのだ。走り回ってコンクリートの杭に激突したってぶっとい足とアドレナリン一杯の吾輩は平気である。そのまま走り続ける。
 ところで吾輩車に乗っても吐かなくなっていた。あるとき吾輩の頭にきらりと光りが走ったのだ。そうだ車に乗るとどこかにいいところに行くのだ。そうだ車に乗ると楽しいことがあるのだと吾輩の頭脳はとうとう理解した。ご主人の言う悟性が吾輩にはあるのだ。以来振り返るということはない。悟りを開いた瞬間、車は五分でゲロ、ということはなくなりぴたりと治った。しかしご主人に感謝するという理性はない。悟りの結果外に行く、特に川などに行くとバーベキューなるものなどがたいていあるという余分な知識を得るようになった。バーベキューはよい。実によい。すでにいきなりパクリなどというハイリスクを冒すような無謀なことはしないだけの教養も身に着けている。熱い鉄板に足を載せてはならないなど経験も積んだ。清く正しくバーベキューの焼いているところでじっと座って待つだけでよい。ただただじっと待つ。吾輩の口からよだれが落ちるのは仕方ない。焼き人が観念するまでひたすら待つ。あんぽんたんが油断して吾輩の姿を発見するのが遅れて、バーベキューをする人がこの清く正しくただ待つ吾輩に根負けさえすれば肉ゲットである。外出は実に楽しい。
 吾輩内心犬としては強い方だと自負しておる。だからと言って権力を振りかざすなんてことは微塵も考えておらん。用もないのに争うなど愚の骨頂である。馬鹿もんがやることである。何もせずとも日々の利益を得られるなら波風など立てぬのが得策というものだ。しかしそうは言っても強いに越したことはない。強いものが勝つ、我が身の序列は犬の世界では利益に直結する。うまいものを最初に確保する。いい場所を占拠する。どんな時でも強い方がよい。それが吾輩たちの世界である。しかし我が家ではあんぽんたんの拳骨が飛んで来さえしなければ特権を行使できるという保留条件が付いてくるのであるが。
 強いといえば吾輩より大きいゴールデンやピレニーズなどは怖くない。バーニーズも大丈夫である。しかしボクサー、あれはだめだ。今朝ボクサーに出会いがしら一撃を食らった。筋力差、闘争心、力量差は明らかである。吾輩の実力は最高で前頭筆頭、決して三役にはなれない。ボクサーは軽々三役入りできる。犬の世界も人間の世界同様個体差が大きい。大関、横綱クラスは人種、犬種では推し量れない。我が犬の世界では闘争心の差が大きい。そしてやはり馬鹿じゃ大関、横綱クラスにはなれないのである。といって弱くてもだめというところが味噌である。今朝のボクサーはこの馬鹿じゃないという奴だから始末が悪い。ゆえに逆らうわけにはいかない。しかし吾輩にも意地がある。媚びへつらうわけにはいかない。そこで臨戦態勢で距離を置くことにした。争わぬこと。無駄なことはしない。それが吾輩の犬生訓である。
 今日は朝からあんぽんたんが牛骨を大きな鍋で煮込んでいる。昨日、田舎を走っていたら大きなスーパーを見つけたので吾輩を連れて主は中に入ってみたのだ。いつも町では店先で待たされるのであるが広い店舗なので吾輩も入れる。田舎はなかなか気が利いてていいところである。見れば大きな冷凍装置の中にいかにも犬用とばかりに牛肉と牛骨がごろごろと大量に陳列しておる。近所のドック・フード・コーナーでも加工牛骨は売っているが高いのでたまにしか買ってくれぬ。主人も、豚や鳥の骨は刺さるから駄目だし、最近は肉屋が近くにないから牛の骨が手に入りづらいなどとぶつぶつ言っていた。それが格安で目の前にある。主、迷わず大袋の牛骨を買った。そのときは何を買ったのかわからなかったのであるがあんぽんたんもなかなか良い奴である。その牛骨を今煮込んでいるのだ。骨の髄の匂いは堪らん。このとき吾輩はあんぽんたんの買ったものがわかった。もう我慢などできん。吾輩は鍋の前に張り付いた。
 「どのくらい煮込めばいいのかな。」
 どうやら主、調理方法もわからないのに発作的に購入したようだ。お昼になっても食べさせてくれない。あんぽんたん。散歩の時間になったが気が気でない、帰ってきて足を拭かれるのもそこそこ、鍋の前に駆け込んだ。部屋はにおいが充満していて外からも匂う。助けてくれえ。
 「お前、邪魔だ。」
 知ったこっちゃない。早く食わせろ。夕方になってもまだくれない。夕飯のドック・フードもそぞろに急いで平らげ、ひたすら伏せをして鍋の前の陣取りを続ける。
 「まったく汚ねえなあ。」
 朝からよだれまみれの床をあんぽんたんが拭く。最後はあきらめてほったらかしになった。
 「このまま寝ている間も火を点けておくわけにもいかんなあ。」
 ああ、深夜になってようやく牛骨が吾輩の目の前に来た。がぶり。あんぽんたんの手ごと齧り付いた。主は何か叫んでいるが吾輩を待たせすぎた罰である。十五分もしないで一本平らげる。もう一本よこせ。吾輩が鍋の前に陣取って離れないので主は吾輩の首根っこを摑まえて寝床まで引きずっていく。それぐらいで負けて堪るものか。あんぽんたんが寝床に入るとまた鍋の前まで行こうとしたらドアを閉められてしまった。翌朝もちろんすぐ鍋の前に張り付く。
 「まだ煮込みが足らんのかなあ。」
 前日の一本、最後に骨の芯が残って吾輩がずっと舐め続けていたのであんぽんたんは煮込みが足りんと思ったのである。おかげで今日もまた食わしてくれぬ。ああ。一日目もすごい匂いだったのだが、二日目の濃厚になった煮汁の匂いは凄まじい。堪らん。然るにやはり吾輩の目の前に来たのは夜であった。やはり骨の芯が残ったのでこれだけは普通の煮込み方では柔らかくならないとあんぽんたんも悟ったようである。しかし味の浸み込んだこの固い骨をいつまでも舐めていると前日同様あんぽんたんは吾輩が呑み込んで刺さるといけないといって取り上げた。ひどい奴である。次の日、すっかり煮汁が冷めるとあんぽんたんはその煮汁をドック・フードに浸して飲ましてくれた。少し見直した。牛骨は歯石を取るのによいという人の話をすぐそのまま信じるあんぽんたんはその後もときどき田舎に出かけては牛骨を調達してくれる。やはりあんぽんたんはいい奴である。確かに吾輩の歯はぴかりと光っている。
 世の中はいいことばかり続かない。とうとう吾輩は二番目に邪悪な種族に出逢ってしまった。無論一番目は餓鬼どもである。あ奴らは吾輩を玩具のように扱う。吾輩は物ではない。しかし体力、気力の充実著しい吾輩は悪鬼どもを逆に玩具扱いできるようになっている。ところが二番目の邪悪な種族は抜け目なく容赦ない奴らなのだ。それは訓練士という奴らだ。こやつ等は我ら犬族の行動を事前に察知し狙って扱う。やることが計算づくなので始末に悪い。なにゆえこのような凶暴な者をあんぽんたんは呼び寄せたのか。何か大変な誤解があるようだ。たしかに吾輩は主を崖から落とした。リードで地面を引きずり回した。ぎっくり腰になりかねないほど急に方向転換して引っ張った。しかし吾輩には人を傷つけようなんて魂胆はこれぽっちも持ち合わせておらん。たまたま良いにおいがしたとか、誰か同族が来たとか、馴染みのお姉ちゃんに声かけられたとかどうでもよい理由なのである。せいぜい責められてもるんるん気分で周囲に注意を払わなかったぐらいのことである。とてもこのような邪悪な種族を呼び出してよい理由にはならない。だいたい主が転げたぐらいのことは吾輩の脚力が丈夫で健康そのものである証拠であるのだから誉めてくれてもよさそうなものだ。
 しかしともかく来てはならぬものは来てしまった。嫌だといっても来るのである。こやつはまず出会い頭にガツンとやってくる。主からリードを受け取るとそいつは吾輩を見透かすように、矢庭にぐっと腰を据えた。吾輩はいつものように気が向いた方にふいっと走る。その瞬間この邪悪な種族はリードを軽くくいっと引いたのである。吾輩はそのとき初めて空というものを、眼前に空だけが広がる世界を知った。吾輩は初めて空を飛んだのである。眼にはきれいな大空。いつもは地面ばかり見ているので空がこんなにきれいだとは知らなかった。そしておおいに認識を改めたところで地面に落下した。大きく目を見開いて眼を輝かしているあんぽんたんが目に入った。とっても喜んでいる。
 その後は惨憺たるものである。吾輩の行動は制限され、何やら言われるとお尻を押され、別の言葉とともに首は引っ張られる、引きずり回されるなど横暴極まりない扱いなのだ。そしてその日はなんだかわからぬままに家に帰ると、主が細君に話す。
 「いや実にあれは楽しかったよ。実にスカッとした気分になる。」
 「あらそうなの。それ私でもできるかしら。」
 「まあまず俺が試してみる。」
 剣呑な雰囲気だ。次の日からあんぽんたんは何かと構えてはぐっとリードを引くようになった。しかし運動とは無縁の吾人である。タイミングがまるで合わない。吾輩は常に首つり状態となる。呼吸困難か、首を後ろにねじりあげられるのである。しかも一向に止める気配がない。実に下らぬことを覚えられてしまったものなのであるが、なんとその後二日ごとに邪悪な訓練士はやってくるようになった。命令と忍従の日々が続く。来るたんびに主は変なことを覚えて吾輩でそれを試そうとするようになった。正に二重苦である。あるときなど夜中に広い場所に連れ出されて毛糸の長い紐につながれて遠くから「こい」とばかり紐を引っ張られた。しかしこの紐ときたらふにゃふにゃだからなんとも手ごたえがない。吾輩に「こい」と言われても信号が届かなければ何を言われているのかわからん。知らんぷりしていたらあんぽんたんが怒鳴り始める。あんぽんたんはそれでも諦めずホームセンターに行っては適当な紐を探す。ビニール紐も試された。これも意外と伸びるらしく信号が到達せず無視した。どうも細く軽く伸びない紐がなかなか見つかなかったらしい。飽き性なあんぽんたんはとうとうそこで諦めた。
 しかしこうして何やらわからぬうちに言われたとおりにやれだの命じられるままに動かされるようになった。後はいつまでたっても同じことをやらされることになる。座れ、待て、来い、だ。いい加減飽きてきても永遠に繰り返す。自分の事ながらちったあ少しぐらい変えたってよさそうなものだと思うのだが変えない。とうとう同じことに懲りずにずっと付き合う自分が偉く思えてきた。まあよい。耐えがたきを耐え、辛いことも日に三度の食事と三度の散歩という単調な日々に彩りを添えるものと思えばまた楽し。吾輩何事にも楽天的なのが唯一の取り柄である。そして賢い吾輩は適当にやるということを覚えた。
 散歩から帰ると蕎麦掻のホンダVFR800Fが家の前に置いてある。この男真面目に玄関から上がってくることがほとんどない。庭に回って縁側から直接書斎に入ってくる。案の定書斎で寝っころんでいた。ヘルメットを脱ぐとやくざが一人登場するという風采なので吾輩など怖くて容易には近づかないぐらいだ。とにかくこの二人がこそこそ話しあっているときはろくなことを話してはいない。黒いオーラが周りを包み込んでいる。二人して何にでも興味は持つし、どこにでも行くがすぐ飽きる。懲りるということを知らない。あるときなどは最近あまり姿を見かけなくなったランジェリーパブを近くで見つけたと蕎麦掻が来て二人で出かけた。Iカップだかのお姉ちゃんの胸をもみもみしてきたとかで、帰ってきてから自分の指を動かし見ながらときどきにやにやしている。不謹慎極まる。あんぽんたんはまったく俗物である。特に吾輩を置いてきぼりにして二人だけでお姉ちゃんの所に行ったのは怪しからん。吾輩を何処にでも連れて行くという原則にもとる行為である。この間はこの二人、腕時計を分解しはじめた。なんの予備知識もなくたいした道具もなしでいきなり裏蓋を開けようとする。ベルトを外すのは簡単だし、裏蓋もちょっと空いた隙間に専用工具を突き刺せば簡単にぱかっと開くらしいのだが、工具はなし。いい加減なものでいろいろ試したあげくなんとか蓋を開けることはできたようである。吾輩をほったらかしでやっているので足に顎を載せて見ていたが眠くなったので途中からはわからない。気が付くと側を取り外しムーブだけになっている。「おお、こんな風になっているのか」と感想を述べたところで満足して終いにすればいいのにムーブメントの分解に取り掛かった。黒いオーラの出番である。当然のことながら時計としての現状に復帰することは二度となかった。一応裏蓋は閉じられ、ベルトも付け直されて見掛けは腕時計であるがその針が二度と動くことはなかった。そんな二人が今こうつぶやいているのだ。
 「用意はできたか。」
 「できた。」
 怪しい。どうしたって不穏だ。ばれたら細君の火山噴火必定である。こういう傍には決して寄り付かないようにしないといかん。犬の習性でついつい意味もなく傍についてしまうので、とばっちりを食いそうな場所にもつい同伴してしまう。くわばらくわばら。
 さて秋葉原というところに行った。どこへでも吾輩を連れて行くのがあんぽんたんの良いところである。しかし前に行ったときは国鉄の跡地とかいうところの広い露天の駐車場に置き去りされた。「お前の入れない所だから大人しく待っているのだぞ。」と言って一人で行ってしまうのだ。ひどい奴である。車の窓は開けっぱなしである。まったく吾輩が留守番しているからいいものの物騒である。まあそれでも何やら買い物をして急いで戻ってきたら吾輩を連れてまた出かけた。公園や昭和通りとかの裏側でリヤカーに段ボールだかを載せて引っ張るおっさんの横などを通りながら露店っぽい店をぐるぐる回っていた。近くで恩師の先生が日雇い労働者向けに診療所を開いているそうだ。熊五郎よりさらに熊五郎らしい。よほど主は熊五郎タイプが好きなようだ。今回はヨドバシとかいうビルに車を停めた。前あった広い駐車場はどこに行ったのか。この辺は都市開発とやらでやたらと高いビルだらけの妙にきれいな所になってしまったのでうっかりおしっこもできゃしない。しかもゴスプレ、メイド姿の姉ちゃんたちがいっぱいで、あんぽんたんもせっせっとチラシだかなんだかを受け取っている。もともと危ない場所だったが、きれいになって危ない場所は更にビルの奥に隠れたらしい。吾輩は入れない。
 ところであんぽんたんの服装はいつもどおりの着物、下は褌ではなくステテコ、肌襦袢に裾よけ長襦袢に長着、足袋に雪駄という出で立ちである。何事にもいい加減なあんぽんたんの事であるからこの出で立ちにどこで見つけてきたのか袖口が広めでちょっと長めのタウンジャケットを着ている。なんのことはない吾輩のうんちを入れるベルトポーチを後ろに隠し持っておるのだ。羽織の中に隠すのはやや気が引けたようである。しかしこの服装でメイド譲との組み合わせは吾輩が見ても奇妙であるが、周りはとんと気にする様子もない。ここも変なところである。このあと神楽坂あたりをあんぽんたんと徘徊した時からすると場所柄から言ってもかなりミスマッチではあろう。主はこの格好でどこにでも出かけるのだから仕方ない。「俺の若いときはもっといっぱい着物の人がいた。これでいいのだ。」と一人で納得、気炎を吐いているが、まあ吾輩が着物を着せられるわけではないのだから構いはしない。
 この界隈もだいぶ様変わりしてきたとはいえあんぽんたんの行くところに変わりはない。今日もラジオセンターかラジオデパートだ。まあ狭いこと。人間だらけだ。別段狭いのも人がいっぱいなのも苦にならないが店先でなにやらパーツや工具をあさっている間始終待たされるのは飽きる。しかもアスファルトかコンクリートの上で待たされるから冷える。狭い通路を通り抜けるお客さんもびっくりして吾輩を見下ろして通る。「さすが米軍の無線機は売らなくなったな。」いつの時代の話をしているのか、吾輩に向かって独り言をいうのもどうかと思う。「お前と一緒だといかれるところが少なくて困る。」とぶつぶつ言われながら行かれそうなところをぐるぐる回る。最後も「ここまで来たら神田まつやの蕎麦でも食いたいところだがお前のせいで食えねえなあ。」とまで言われて肉の万世の前を通り過ぎ、結局主は路上でドネルケバブ・サンドなんかを頬張っている。トルコの回転焼肉料理のサンドだ。もちろん吾輩におこぼれはない。香辛料たっぷりそうなものはまったく貰えない。
 連れ出される度に文句を言われるが、とにかく都心をよく引っ張りまわされる。この日も何か思い出したらしく秋葉原から飯田橋に向かう。
 飯田橋駅を外堀通りへと左に曲がり、神楽坂下から早稲田通りを上がり、主が「まったく様変わりしたものだ。」と感嘆しながら歩くのを神楽坂上まで付いていきさらに上がり、続いて神楽坂通りを上がっていく。昔知り合いの看護学生の姉ちゃんたちが貧乏で「この中華店の肉まんは絶品だ。」と頬張る店を一生懸命探しているが、どうやらこの辺まで来ると変わったどころではないようで主は目を白黒して辺りを見回している。とうとう置屋なども多かったという閑静な神楽坂の右手の脇道に入った。しかし主は完全に迷子である。これでは御上りさん状態だ。吾輩はいろいろな匂いのする脇道の方が好きだからどうでもよいのだが主はかなりショックのようだ。肉まんがお目当ての品とわかったので内心肉まんの皮ぐらいはおこぼれに与かれるのでは期待したが残念であった。なんとか見知った東京厚生年金病院、今はJCHO東京新宿メディカルセンターとかに改組した病院までたどり着いたら主も観念した。後は見知ったところを通って帰ろうと、大久保通りを飯田橋に下ってすぐ手前を右に曲がる。看護学院を見ながらまっすぐ行くと昔懐かしい名画座ギンレイホールがある。主は「まだあった。」と感激して、「ここは昔、貧乏学生なんかにゃやさしい、三本百五十円でやっていたんだぞ。エロ映画上映の時なんかは結構危ない人もいてなあ。」、吾輩に解説してどうする。仕方ないので吾輩の清純なるまっ黒で円らな眼を下からえへっと返してやった。ギンレイホール横の外堀通りに戻って飯田橋駅に向かう。外堀と神田川にかかる橋から川を見下ろして、「ここはゲロ橋とも言うんだぞ。」、またもや主は吾輩に解説する。ちょいと覗いてみたが、ドブ川から鯉が泳ぐ川になっていた。まあ魚の餌をばらまく橋と解いた。とうとう出発点に戻ったので主は散策を諦めた。
 いろいろな所に出かけたのであるが、結局のところ吾輩距離というものはよくわからない。近いとか遠いとかはまったくわからないし興味もない。しかしそこがすでに知っている場所の匂いであるかはすぐにわかる。特に我が家近くの匂いはすぐにわかる。出かけて我が家に近づけば、すっかり寝込んでいてもむっくりと起き上がる。我が家に近いということは吾輩が飯にありつける場所に戻ってきたということだ。秋葉原、飯田橋の帰りはもう何の利益もないだろうと主の横で眠ると決め込んだ。昔は主がブレーキを踏むたびにダッシュボードに体をぶつけて寝るどころではなかった。今は座席の足元に穴ふさぎクッション・ボール、吾輩の胴輪はシートベルトに括り付けられ、体止めのクッションも前にある。安心はできぬが寝られるようにはなった。あんぽんたんも少しは考えたようだ。しかし寝ていようが鼻は利く。どうやら我が家が近い。さあ飯の時間はいつだ。
 帰ったら今度は西風がいた。
 「あ、先生お帰りなさい。ご無沙汰しております。ちょっと里に帰っておりましたもので。あっこれ里の土産です。」
 西風はなぜか主を先生と呼ぶ。あんぽんたんはどう見たって先生に見えない。しかし先生と呼ぶ。あんぽんたんはなぜか変わった男ばかりを引き寄せる。土のついた里芋がごっそり袋に入って食卓の上に置いてある。細君はすでに芋を蒸している。
 「砂糖醤油で煮物にした方がよかったかしら。」
 「それもおいしいですけれども、新しいので甘みがありますから今みたいに蒸して好みで醤油を付けて食べるのがおいしいですよ。」
 吾輩にもおこぼれがあるかといつものように食卓に下で待つ。西風の爪の間はいつも黒い。工員でもやっているのかと推察しているが、彼のような頗る真面目な御仁がなぜあんぽんたんのようないい加減な男の所に慕ってくるのかはよくわからない。西風もあんぽんたんが散歩に出るのを躊躇しているときなどは吾輩を散歩に連れ出してくれる。当然吾輩の判断基準からすると人物評価で自動的に好評価となる。
 里芋はすぐ蒸せるので皆食べ始めた。「お前はすぐ呑み込んで喉をやけどするから駄目」とまるで吾輩の所にはくる気配がない。
 「今日は秋葉原に行ってきたよ。しかしあそこはメイド嬢ばかりになったね。昔は男ばっかで女っ気のないむさ苦しいところだったのに本当に変わってしまったよ。」
 ポーチからちゃっかり保存していたチラシを出した。
 「あら面白そうね。あなたちょっと寄ってくればよかったのに。」
 「冗談言うな。そんな恥ずかしいところ俺がいけるものか。」
 チラシもしっかり持ち帰り、主は興味津々行く気は満々である。しかし見栄でいけないだけである。はずかしくていけないというのも真実で小心者なのだ。細君はふんという顔をしている。
 「そういえばドクターと(蕎麦垣)さんは二人で行ってきたとか言ってましたね。」
 「おいおい、あの二人じゃ喫茶店の中が異様な雰囲気になったろう。」
 「別に普通に相手してくれたって言ってました。まあ場所がそもそも特殊ですから逆に違和感なかったのじゃないですか。」
 「けっこう言うねえ。」
 「あの二人なら絵になるかもしれないわね。」
 細君まで同意する。
 「メイド喫茶にはいかなかったが少しうろうろして神楽坂まで行ってきたよ。どこもかしこも変わってしまっていてまいったよ。昔はよく歩いたところなのに迷子になってしまった。」
 「そういえば昔はよくお知り合いの看護士の方と歩いたとかおっしゃってましたね。」
 「あら、初耳。」
 「おいおい。」
 西風は要らぬことを言う。場を読めないのは主と似ている。有らぬ方向に話がいきそうなのであんぽんたんは話を切り替える。
 「盆でもないのになんで田舎に帰ったのかね。」
 「それがしつこく親が帰れ帰れっていうもんですから帰ったら見合いをさせられたんですよ。こっちはまだ田舎に帰る気なんてまったくないのでさっさと戻ってこようとしたら、もう日取りも決めて相手にも話をしちゃったからとにかく会うだけ会えって離してくれないのですよ。仕方ないので見合いだけして帰ってきました。」
 「返事はしたのかね。」
 「適当に断っておいてくれと言ってさっさっと帰ってきちゃいましたよ。」
 「(西風)さんも奥さん貰われてもいい歳でしょう。お貰いになる気はあるのかしら。」
 「いやいや、まだまだ貧乏でとても妻子を養える状態ではありません。」
 金持ちでないのは確かのようである。ろくすっぽ働かないあんぽんたんだって二人も子供を養っておる。多少いい加減でも大丈夫、細君のような良妻賢母を探せばよろしい。ちょっとだけ依怙贔屓して西風君を応援した。
 犬コミュニティーは今日も平和である。相も変わらず犬の事ばかり話している。だから平和だともいえる。犬連れに餓鬼どもの姿は実に少ない。あんぽんたんは「昔犬の散歩なんぞ餓鬼の仕事だったのに実に嘆かわしい。」と言っておる。実際子供連れの散歩といっても少年少女諸君とはいいがたい。ほとんどがおじさんおばさんにお姉さんお兄さんだ。お姉さんは吾輩にはありがたい。餓鬼はいかん。あれはいかん。あんぽんたんの分析では、「昔親は両親ともに仕事で忙しく犬どころでないので子供が気が向くと遊び相手代わりに散歩していた。今はなんだかんだ言って親も暇ができたのだ。最初子供が犬をねだって結局親が世話をするという構図。世話をしているうちにはまる。多少なりとも浮世に疲れを感じる余裕ができるとはまる。だから餓鬼どももちょっと大きくなっていないといけない。はまることがない。」なのだそうだ。うふっ、人間どもよ、吾輩にはまれ。そして誰でもよいから吾輩を散歩に連れて行け。気が向いた時だけなんてのはいけない。日に三度以上きっかりと。待遇改善。虐待断固反対。そして吾輩は尻尾を振ってちょっと干からびかけたおっさんとおばはんたちのパーティーに答えよう。きっとおやつにありつけるだろう。
 我が家には縁側というのがある。ここにも吾輩専用の座布団が敷いてある。誰も相手にしてくれず、それどころか邪魔者扱いされたときはここで一日を過ごすのが日課である。もちろん耳はそばだてて鼻は利かしている。良い日和の時は一日中戸が開いていて暖かい。吾輩は一応番犬という立場なので見かけは役目を果たしている。しかし誰か来たらいつでも尻尾を振ってお愛想をしておる。本当に役に立っているかは保証しない。
 このごろその我が家にパー子というのが居着いておる。吾輩のスカートめぐりが縁となった子だが、近所の娘らしく縁側でふて腐れている吾輩を見つけて庭に入ってきたのが縁だ。そのまま真昼間でもぶらぶらと家に入り込んで吾輩と遊んでいる。そんなにちょくちょくいい年ごろの子が居着くのだから何やら訳有りなようだがそんな事まったくあんぽんたんは気にしない。のんびりしたものだ。吾輩の何事も気にしない性格は主の性格が移ったのやもしれぬ。細君の方もこれまた一向に意に介さないようでよく二人台所で何やらいっしょに作ったりしている。実に呑気な家である。とにかくあんぽんたん家は少しずつ犬好き、猫色より犬色に染まってきたのである。のはずである。
 今日は細君が散歩に連れ出してくれる。最近細君の吾輩への評判はすこぶる良いのだ。小さいころ細君を転ばせ続けた吾輩の評判は最悪であった。ぼろ糞である。しかし最近は細君の脇を離れることがない。実に優等生である。そして評判の良さとともにおやつの種類と数は格段に良くなっている。しかしそれとともに毎日歯石取りの歯の掃除に始まり、目ヤニとり、耳掃除、尻掃除、毎日の毛洗い、ブラッシングと吾輩が嫌いなことが目白押しになった。嫌がると即おやつと飯の数と質に差が出てしまうので怖くて逆らうわけにはいかない。今日もいい子で散歩している。
 女が集まると時間が止まる。犬仲間の井戸端会議が始まって吾輩はたちまちお母さん方の足元をうろうろすることになった。そこへ芝の姉さんのお母さんがやってきた。
 「昨日(静)ちゃん亡くなったんですって。」
 「えー、嘘でしょう。一昨日の朝(静)ちゃんに会ったけど元気だったわよ。」
 「今日(静)ちゃんのお母さんから電話があったのよう。なんでも昨日急に具合悪そうにして食事も摂らないからいつも予防接種とフロントラインで行ってる○×クリニックに(静)ちゃん連れて行ったんですって。」
 「えー、あのすぐ切りたがる先生の所。」
 「ええ、そうしたら案の定開いてみないとわからないから切ってみましょうって言われたんですって。」
 「大丈夫だったの」
 「それが開いてみたら腸捻転とかで、とりあえず手術が終わってクリニックで夜(静)ちゃんを預かったのだけれど、夜中に容体が急変してそのまま亡くなったそうなの。もうお母さん泣いちゃって大変で。」
 「それはそうよ。」
 「今日は通夜で、明日焼き場に連れて行くそうなの。それで今朝電話があったわけ。お骨はしばらく家においてお寺を探すって言ってたわ。」
 「それなら急いでみんなに電話して一緒に行きましょう。最後のお別れしなくっちゃ。私電話してみるわ。お母さん元気付けてあげないといけないし。」
 「あのクリニックで大丈夫だったのかしら。」
 「それはわからないわ。もう少し早く電話もらえれば別のとこ勧めてあげられたのだけれども。今となっては言っても仕方ないし。ああ、花は私が買っていくわ。」
 「それなら後で割り勘で。」
 吾輩の楽しみのひとつが無くなってしまった。もう彼女とは会えないらしい。これはわかる。我ら犬族は物なので医療過誤責任は問うてはいけない。これも意味は分からないが正しい。犬も医者をよく選ばねばこの世の終わりとなる。しかし我ら犬族には選択の自由はない。吾輩は熊五郎なので大丈夫だろう。まあどっちにしても死んだということがどういうことなのかはちっとも解かっておらんのではあるから、早く散歩の続きをしよう。

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