「吾輩は犬である」、その10



 吾輩はひそかに細君の方を飼い主だと思っておる。おかげで細君からおかみさんに昇格している。なぜそう思うのかと言われてもそう思うからそうなのである。まあなんでも無理に理由を捻り出してみれば、なんといっても飯をくれる。次に犬かわいがりしてくれる。あんぽんたんは実に暴力的だ。あれはいかん。平和主義者の吾輩をなんだと思っておるのか。その点女主はやさしい。殴ることなどない。最近は寝る時も細君の所で寝ることが多くなった。ほとんどそっちだ。そうするとご主人は吾輩を無理矢理おかみさんから引き離して主の寝所の方に引っ張っていく。そしてあの薄い吾輩専用の布団に放り出す。まったく薄情な奴である。ご主人は吾輩が細君に餌をねだっているとよく、俺が稼いだ飯だぞなどと言い出す始末なのだが、何の事だかさっぱりわからんので無視している。しかし無視していると反対に吾輩を薄情な奴だとなじるのでほとほと困っておる。ご主人はこのとおり横暴なのだが、ボスであるからにして仕方ない。言わせておこう。
 昔、王様はあんぽんたんの所などには足も向けなかった。ところが最近は主の膝の上でごろごろしている。王様が歳をとって丸くなったのか、夜遅くだとあんぽんたんしか起きていないので仕方なく来るのかちょくちょく現れるようになった。しかも部屋に入るときなどは「シャー」ではなく「にゃ〜」と挨拶までする。昔は夜家になど居着かなかったのにすっかり夜でも主の膝の上で寝ている。吾輩が膝に頭を乗せると「重い!」といって追い払うくせにあんぽんたんもそのままに放っている。そこは吾輩の定位置だなどという目だけの無言の抗議はまったく通じないので諦めて少し遠くの吾輩の薄布団の上でふて腐れている。
 いったん通いだすと王様は、昼間書斎に誰もいなければ廊下で日向ぼっこ、夜は吾輩の薄布団を占領する。誰かいればその膝の上と定位置が決まった。ようするに吾輩の定位置はすべて王様に占拠されるので吾輩の居場所がない。おかみさんがいなければ行くところもないので無言の抗議はしても横でふて寝する。都会の猫らしく王様も鼻炎にかかっているのでくしゃみをしてそこら中に黄色い鼻汁をまき散らしていく。帰ってきた主はそれを見て王様がいたのかと承知する。
 この家には先住民が代々いる。猫である。誰が飼っているかって。細君に決まっている。だからこの家で猫は神様なのだ。細君は猫派、あんぽんたんは犬派である。犬はこの家で実は圧倒的な少数派なのである。よってあんぽんたんも吾輩も肩身を狭くして暮らしている。だからこの家に来たときもうっかり王様に挨拶をしてしまった。たちまち一発鼻先をぎゃひーとやられた。平和主義者の吾輩には何が起こったのかさっぱりわからない。しかし家人は当たり前のような顔をしてまったく取り合ってくれない。猫とはそういうものと決まっているようだ。決まってしまっているものは仕方がない。もともとこの家に来た最初から洞察力に優れた吾輩は王様には逆らうものではないとは認識していた。しかしこの家で暮らしていると猫とは神であると理解せざるを得なくなる。よって吾輩は猫一般もそのようなものだとわかった。以来吾輩は家の中だろうと外であった家猫だろうと野良猫だろうと同様に扱うようになった。だから猫にはいっさい逆らわないと決めている。野良猫だろうとなんだろうと猫に会ったら必ず懲りずに挨拶する。特に吾輩は藪が大好きなのでよくばったりと野良殿とはご対面する。しかも野良猫は色々な影にひっそりと隠れているのが大好きと来ている。毎度の事なので突然ご対面しても吾輩の方は丁寧に御挨拶をする。しかし当然いつものように「シャー、ばし!」とやられて鼻先から真っ赤な血をたらたら垂らしている。まあ、痛みには強いので平気だ。そのまま最高の態度で挨拶を続ける。つまりへらへらしているのだ。しかしたいてい神様の方が立ち去っていくので吾輩としては大変さみしい。
 王様の方も相変わらずで、吾輩など存在しないものとして歩いていく。吾輩もますます世界と一体となって埋没する存在となった。
 訓練士も相変わらず来る。しかし特にやることはないのだ。昔からやっていることを繰り返しているだけだ。訓練士があんぽんたんに解説したところでは、「練度をあげる、深みを増す」のだそうだ。何でもいいがもういいだろう。八分でやっていても長く続けていくのはしんどいのだ。だがあんぽんたんは、「なるほど、なるほど」と納得して断然頑張る。近くで話を聞いていたら、「はあ」と思わずため息が出てしまった。
 なんでも長くやっているといいこともある。どうも吾輩は長く訓練している犬の中でも長老格になっているようなのだ。八分でやっている関係で大きく崩れることもない。かといって多くを求めても大して変わらないのは訓練士も承知してくる。そしてなんといっても昔からの顔なじみになっている。だから最近は訓練の途中で訓練士が食事なんかしているとお裾分けなんかがあるようになった。昔はこんなことはなかった。今でもお裾分けがあるのは昔からの馴染みの犬だけである。当然訓練の始まったばかりの犬に舐められたら訓練士も商売あがったりである。だから普通は強面の顔をしている。たいていの犬は訓練士が訓練だぞうと近づくと震えあがって逃げ出すかしゃがみ込む。吾輩は小さいころから訓練士は嫌いじゃなかったのでいつも尻尾を振って迎えていた。だから吾輩は待遇がなかなか良い。はは、吾輩のへらへら犬生は年季が入っているのだ。
 ともかく人間も犬も、あの王様さえも歳をとると丸くなるようだ。とりあえず横で寝ていても怒られるようなことはなくなっている。ただの毛の塊と思われているかもしれないが。
 細君とも遠くまで散歩に出かけることが多くなった。かなり遠い公園まで延々と歩いて行ってボール遊びをして、またまた延々と歩いて帰る。おかみさんは社交家でもあるので犬パーティーの家々をぐるっと巡って帰ってくることも多い。当然のことだが各家ではおやつがたっぷりと必ず出る。お腹をたっぽんたっぽんさせながら回ることになる。不思議とあんぽんたんとおかみさんそして吾輩と、一緒に散歩に行くことが少ない。犬パーティーで遠征に行くときはたいてい夫婦で行く。別段夫婦仲は悪くなさそうだが我が家から出かけるときは吾輩と人間一人単独で出かけることが多い。散歩中はお互い別の事をして用事を片づけているようだ。しかしおかみさんと散歩して帰るとシャワー、食事、ブラッシングと必ずフルコースになる。あんぽんたんなら足を拭いて終わりだ。
 「おい、俺の飯は。」
 「あ、ちょっと待って。まだこの子のブラッシングが終わってないの。終わったらすぐ作るから。」
 一応、あんぽんたんよりは吾輩の待遇の方がよいのだと解釈しておこう。
 何を思ったか最近細君は運転免許証を取った。あんぽんたんと違って運動神経は悪くないらしく一発で取ってきた。そうすると途端に活動範囲は広がった。より遠くの公園や川にいったり、遠くのアウトレットに行ったりする。必ず吾輩付きだがあんぽんたんがいない。別の犬と一緒に遊びに行くこともある。たまにだが餓鬼どもまでも引きつれて遊びに行くことまである。あるとき遅くまで遊んできてくたくたになって帰ってきた。
 「ごめんなさい遅くなって。私たちでごはん食べてきたので遅くなっちゃったの。あなた何か食べた。」
 「いいよ。遅いからカップラーメン探してさっき食ったから。」
 あんぽんたんは一人で怪しい遊びに飛び回ることが多いせいかあまりこの手の事で文句を言うことはない。細君と吾輩は早々にくたびれて寝ると、主は珍しく仕事で書斎へ戻った。
 都心によく行くのはあんぽんたんである。細君も電車でなら出かけるがさすがに吾輩を連れて電車には乗せてもらえないので一人で行く。車で都心を走るのは怖いと言って行かない。つまり車で吾輩を都心に連れて行くのがあんぽんたんである。八重洲口のブックセンターに行った。あんぽんたんが本を探し終わると散歩に出た。駐車場を出てブリジストン美術館を横目に見て八丁堀に向かう。主は美術館に入りたそうだったが諦めた。主は大通りがあまり好きではないのですぐ脇道に入る。ところがたいてい大きいビルや高速道路とか構造物に突き当たって結局は大通りに戻る。そうするとまた脇道に戻る。この繰り返しをするのでどこを通ってきたのかよくわからなくなる。それでも狭い道をくねくねと行くのが好きなようだ。どこを通っても高いビルだらけで景色などと言えるものは存在しない。どこを見たってコンクリートだ。吾輩は匂いの違いで場所の違いがわかるからいいが、あんぽんたんは何を見ているのかはさっぱりわからない。
 「長い時間で見ると田舎より都会の変貌の速さは凄まじいものがあるのだぞ。」
 いつもの吾輩への独り言によると、だそうである。用もない記憶など吾輩には無関係である。
 京橋に向かい東京国立近代美術館フィルムセンターを過ぎる。
 「昔はよく来たんだが。火事以来さっぱりだからな。前からここに建っていたかも忘れてしまった。昔、古い映像はここでしか見れなかったんだぞ。小さい映写室があってそこで昔のフィルムを回して見るんだ。」
 あいかわらず昔のことになると独り言を言う。銀ブラをして日比谷に抜ける。伊東屋の前ではしばらく店内を見て動こうとしない。お馴染みのスカラ座、みゆき座の横を通ると主は案の定ここでも入りたそうな顔をしている。そんなに懐かしいのなら吾輩を置いて一人で来ればいいのにやっぱり吾輩を連れて通る。お決まりで皇居まで行って内堀通りを抜ける。皇居を見るとすぐ中に入りたそうにむずむずさせているので危ない。東京駅に戻って丸善を通ると、また、
 「しまった。寄るのを忘れた。」
 計画性のないやつだ。後は八重洲の駐車場まで行って家に帰った。結構都心は色々の所を回った。吾輩これでも都会通なのである。吾輩の風貌からそんな都会のおしゃれな犬には見てもらえないのが難点ではあるが。
 我輩でも直接我が身に利害が生じる記憶なら昔の事まで覚えている。犬にだって犬なりの学習能力と記憶力はあるのである。昔あんぽんたんと朝早く五時ぐらいに公園に散歩に行くと誰もいないので、一匹と一人で自由にゆっくり歩き回れた。ところが最初ラジオ体操第一というラジオ番組に合わせて少人数の爺さん婆さんが集まってきた。健康第一ということで少しずつ人数が増えていく。とうとうラジオ体操第一の時間だけでは公園に収容できる人数を超えた。仕方ないので集まっていた連中が相談してラジオ体操第二の時間に来るようにする人と別れることにした。いったい何百人の爺さん婆さんがいるのか。公園の入り口から出口まで、広場という広場、空き地という空き地には爺さん婆さんだらけになった。しかも体操が初めてという人もいるので体操を先導する人もいる。その人の真似をしておいっちにおいっちにとやるわけである。ところが末端はそんな先導者なんて見えるような規模じゃなくなっている。仕方ないので先導者の横には大きなスピーカーが設置されて公園中に響き渡る大音響で体操の音楽を流した。もうとても静かな公園という雰囲気ではない。そしてラジオ体操の音楽が流れるとぴょんぴょん飛び跳ねても接触しない間隔で人間が密集しているので誰もその間を縫って通り抜けるなんて芸当はできない。だから体操中はみんな公園の敷地内を通らない。横の歩道をこの体操の音楽の大音声を聞きながら公園を占拠した集団を横目で見て通り抜けることとなった。もちろん吾輩たちも歩道を通る。吾輩などは人の通る歩道だからリードに繋がれてしまって自由に動けない。散々である。結局ラジオ体操第一、第二の間の三時間あまり誰も公園を散策できなくなった。それでもあんぽんたんは諦めなかった。それならばもっと早く散歩に出てやると言ってどんどん時間を早くしていった。こういうこととなるとあんぽんたんはすぐ意固地になる。最終的に朝四時に出かけるようになった。しかしなんとそれでもラジオ体操に出かけてくる爺さん婆さんたちが健康のためと称して体操の前から公園やその周辺を歩き回るようになっていたのだ。なにせ元の数が数だけに散策する人間の数も半端ではない。どこをどう通っても爺さん婆さんである。とうとうあんぽんたんも年寄り軍団に降伏した。ラジオ体操の時間の間は散歩に行かなくなったのだ。第二が終わると爺さん婆さんは蜘蛛の子が散るようにいなくなる。きれいさっぱり誰もいなくなる。そうすると体操に関係のない人はみんな同じことを考えているのかその頃から公園に散歩に来たり遊びに来たりする人が集まりだす。結局朝早く涼しいころにのんびり散歩するというのはみんな諦めて、ちょっと暑くても、多少の人のいるぐらいなら気にしないで散歩するという習慣に変更したという次第である。ほら、ちゃんと覚えておるだろ。
 「今朝駅に向かっていたら(パー子)に会ったよ。」
 「あらどんな様子でした。あれ以来すっかり顔を見せないから心配で、誰かに様子を伺おうか迷っていたのよ。」
 「うん、俺も時間がなかったから立ち話であまり長く話せなかったのだけれど、なんでも結婚が決まったそうだよ。」
 「あら、それはうれしい。どんな方なの。」
 「うん、詳しくも聞けなかったけれど、見合いだそうだ。それでその旦那になる人が海外勤務になるとかで急いで籍だけ入れて式は身内だけで簡単に済ますことになったって言っていたな。お前にも式に呼べなくてすいませんでしたと伝えてくれと頼まれたよ。」
 「そんなこと構わないけど、とにかく幸せになってくれるといいわね。」
 「そうだなあ」
 吾輩もそのときパー子に会った。パー子は静かに笑っていた。
 我ら犬族は「笑い」がわからない。だから本質的に笑うとは何かわからない。我らにわかるのは人間の形態的変化のみである。しかし確かにそのときパー子は「笑って」いた。
 吾輩は都会犬であるからしてなかなかどうして洗練されているのである。外見がではないぞ。外見はあんぽんたんに「まぬけ」てると言われているので評価から外している。都会犬に必要なのは調和である。なにせどこにいても不和を生じさせてはいけないのだ。だから都会犬はストレスに囲まれることになる。そんな環境で淘汰されないため都会犬に必要な資質は観察力である。周りに注意することである。よって吾輩は洗練された観察眼を持ち合わせておる。無駄な労力を消費しないために周りをよく見て問題を回避することである。つまりだいたいごろごろしながら耳をそばだて眼だけはしっかり対象物を追いかけるのである。そしてストレスを回避するために都合の悪いことは忘れる。
 高い観察力の持ち主である吾輩も創造力は持ち合わせていない。だいたい何を作るにしたって吾輩のこの手で何を作れというのだ。吾輩の足でやれることといったら穴掘りぐらいのものだ。穴掘りはかなり得意ではあるが。相当早いスピードで大きな穴を掘れるのが自慢である。ともかく創造力とは人間のものである。まあ周りに人間しかいないので他の生き物に創造力があるかどうかは判断できないが、あの真っ黒な絵のあんぽんたんだってとりあえず創作はしたのだ。その上懲りずにまた別の事を始めているみたいだ。続けるということは大変なことだ。懲りないという点ではあんぽんたんを尊敬している。
 ときがどんどん過ぎていくというのを認識しようとするのだがいつまでたっても理解できないでいる。飯を食って散歩して寝る。これを続けることがときというもののような気がする。
 今日王様が亡くなったと聞いた。誰かが亡くなったと何度も聞くのだが吾輩何度聞いても亡くなるとはなんなのかが理解できないでいる。ただ亡くなったと聞くとそれから姿が見なくなる。これはさびしい。王様は王様である。早く戻ってきてほしい。おかみさんはどこかに電話してから出かけて行った。帰ってくると白い布に包まれた箱を小さなテーブルの上に置いた。それからずっと毎日その箱の前で泣いている。さみしそうなのはわかるのでなるべく傍にいるようにしている。箱からは何の匂いもしないのでそれが何なのかはわからない。住民が一匹だけになったので細君は吾輩をいつにもまして可愛がってくれるようになった。しかし吾輩は仲間が多い方が好きである。たとえ頭を踏んづけられようが王様は家族の一員である。帰ってきてほしい。
 王様がいなくなっても吾輩の散歩は続く。むしろ王様がいなくなっておかみさんが吾輩を散歩に連れ出すことが多くなった。
 「わおーん」、
 遠くでいつもの声がする。
 「パセリ!」
 おう、今日も脱走したか。

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