「吾輩は犬である」、その7



 吾輩今日はたっぷりと運動した。日に三度も運動しているだろうとおっしゃるお方もあろうが、あのような散歩は運動とは言い難い。都会に住む犬族は自由とは程遠い悩みごとの多いところに住んでいるのである。余りに気に病む御犬など五百円禿げがそこら中にできるほどだ。ストレスとは恐ろしい。犬とて悩むのである。
 まず吾輩たちは繋がれている。繋がれたままかっ飛べば、おとうさんおかあさん心臓麻痺確実である。自転車と一緒に走ればアスファルトとコンクリートで足を痛めるか骨折する。都会で土を見つける方が至難の業である。勝手に走り回れば犬の嫌いな人に蹴っ飛ばされる。吾輩のような愛想の良い犬を嫌うなんぞまったく理解に苦しむところであるが、犬族にも犬だろうが人間であろうが無暗に襲い掛かる輩がおるので強く主張するというわけにはいかんのかもしれぬ。あんぽんたんが主張するがごとく、小さいときにはうるさい犬には石を投げてやったなどと言う不届きな奴もいる世の中である。周りには慎重に常に注意して歩かねばならぬ。だからただ歩いただけでは運動とは言い難い。しかも都会で運動不足になる犬は食っちゃ寝で樽になる。後ろから見ると丸に棒が突き刺さったような形をしておる。とてもではないがご同属にはお見受けしかねる。肥満はそれ自体ストレスになる。デブだと運動したくなくなる。悪循環の始まりである。ここはぜひ犬も運動が必要である。運動から始めなければならない。しかし場所がない。だいたい人間とて同じではないか。食っちゃ寝食っちゃ寝の生活の末、我が腹を見て、これはどうにかしなけりゃいかんと考える。しかしただ動くのじゃいけない。まずは汗をかくほどの運動をしなければいけない、有酸素運動をして脂肪を燃焼させないとダイエットにはならないと言いだし散歩ではなく競歩やマラソンに奔る。しかもあまりたくさんの人が走り回っていると邪魔で、それどころか危険でもあるから、人間ですら文句の対象になる。おかげで、あんぽんたんが仕事で遅れて真夜中に吾輩を散歩に連れて行った時など多くの人がなんと暗い中走りまくっておった。それでも足りずトレーニングジムとかいう所で機械の上を走っていると聞く。これほど人が特別な運動を必要としているというのに我ら犬族には運動が必要ないように主張するのは人として見識がないというものである。
 吾輩の明瞭明晰なる論拠によって吾輩たちにも運動が必要なのは明白になったので、次に犬は何をすべきかが問題となろう。そこで吾輩たち犬パーティーは湖に行ってしこたま遊びまくることにしたのである。水のあるところならいつでもどこでも遊んでいるが今日は湖である。いつものように車に乗ったら寝る、と決め込んでいる吾輩も湖の近くにきて水の匂いがしたのでむくっと起き上がった。無駄なことには決して使わない吾輩の鼻もこのときはフル回転する。微妙で微かな匂いも見逃さない。湖の淵に車を停めてドアが開くやまっすぐにドボンした。吾輩が一番である。今日は水泳と決め込んだ。続いてパーティーの二犬が飛び込んだ。しかし後が続かない。しばらく様子見をしていた慎重派が先発隊の馬鹿騒ぎに誘われて続いてきた。しかしそこで終わりである。犬は犬掻きが得意でみんな最初から泳げるなんぞと思われているお方は誤解も甚だしく認識不足である。都会の犬の大半は金槌である。まあ吾輩は最初からドボンだったので先天的に河童であったとも言えるが。
 今日は吾輩がおるので足の着かない場所でも慎重派が乗り込んできてボールを取り合って遊ぶ。もちろん一番でボールに追いつくのは吾輩である。続いてボールを見ると気狂いになる犬が追い付いてきて吾輩のボールを奪おうとする。吾輩はやさしいからにしてすぐボールを渡してやる。しかしずっと一匹がボールを独占していては遊びにならない。人間様がむりやり口からボールをはぎ取ってまた湖に投げる。そしてまた吾輩が一番に追いついて繰り返す。楽しいとわかれば泳げない一派でも遊び好きが吾輩たち河童族を見習って泳ぎだす。それでも水嫌いの犬はお父さんたちが抱えて足の届かないところまで連れて行って水の中にそやつ等を浸けてしまう。そんなことを無理矢理されると我ら犬とてトラウマになることがある。斯くいう吾輩も小さき頃あんぽんたんに無理矢理風呂に放り込まれて以来風呂の水だけはだめである。恐ろしさのあまり気が狂ってしまって風呂桶から飛び出しそこからひたすら遠くへ逃げ去ってしまうのである。部屋は水浸しになる。トラウマというのは実に恐ろしい。まあ最初から楽しい状況なら泳げない子もすぐ泳げるようになるようである。しかし水きちがいの吾輩がトラウマになるのである、慎重にやるのがよろしかろう。
 ぴょん子の得意技はお父さんへのジャンプおんぶである。後ろから見事一発で飛びつく。吾輩もやってみようと検討してみた。しかし吾輩とぴょん子との重量差を考えると一発であんぽんたんに飛びつくのは不可能と判明した。そこで最初の一歩を主の背中を踏み台にして飛びついてはどうかと考えた。おそらく我が重量はその前足一本にすべてかかり、我が主はあばらの下の肺を強く圧迫されて息もできず悶え倒れるという結果が推測された。その後にくるのは間違いなく拳固の嵐である。なのでチャレンジは諦めた。ところでぴょん子は水溜りをよけて通るくらいだから泳ぎは苦手というより嫌いである。しかしおんぶジャンプしたぴょん子をぴょん子のお父さんは両手足をロックして湖の中に連れて行った。おとうさんは優しいので突然手を放したりはしない。ゆっくり水に馴染ませてから手を引いて後ろ足で泳がす。少しずつさらに馴らしていったらぴょん子はとうとう泳ぐようになった。しかしどう見ても細いダルメシアンの泳ぎはお上手とは言えない。ぴょん子の方も、おとうさんがもう慣れたかなと思って一匹で泳がしていると、隙を見て一目散で陸地を目指して戻ろうとする。この日一日、ぴょん子のお父さんの健闘は続く。
 細君がビールの缶に石を入れて投げた。それを見逃す吾輩ではない。飛び込めの合図である。吾輩の周りで潜る犬は吾輩だけである。もそっといてもおかしくはなかろうとも思うのであるがいないものは仕方がない。いなければいないで吾輩の遊びを邪魔するものがいないということなのでそれはそれでよい。湖はあまり水が澄んでいないので缶を見つけるのは難しい。缶の着水した地点まで泳いでいき推測で潜る。潜ったら微かな匂いと水底を鼻先でしゃくった感覚を頼りに缶を探す。見つからなければ息継ぎに水面に戻りまた潜る。見つかるまで繰り返す。何度も水面に戻るうち必ずあんぽんたんの怒鳴る声が聞こえ始める。どうやら吾輩が溺れはしないかと心配しているようである。そんな馬鹿なことがあるものか。戻って来いと叫んでいる。こんな面白いこと止めるわけにいかない。しかし主の声が危険水域を越えようとしているのを察知したら戻らざるを得ない。しぶしぶ戻ることになる。水が多少澄んでいるところでは眼も役に立つので缶は発見しやすくなる。そして透明な水の中はキラキラである。カンカラもキラキラで見つけやすい。水中はきれいである。犬に美的感性はないなどと言う分からず屋の人間がいると困るので、水中はすばらしいと言い換えてもよろしい。犬とて感動することはあるのだ。大好きな世界もあるのだ。人間だけでなくこれがわかる同族どもが吾輩の周りにいないというのは実に嘆かわしい。とにかく缶が水面に投げられたら飛び込むべし。吾輩に迷いはない。水中では我一匹。水中はきんきら、吾輩の頭の中もきんきらきんである。
 遊びでボールと水があればボールと水派、そしてわれ関せずの何にもしない派に分かれる。われ関せず派には雌犬、おばはん犬が多い。吾輩が最も苦手とする頭が上がらない一派である。遊び好きの犬なら水もボールも好きであるが、ボール派はボールさえあれば水がなくてもどうでもよい。特にボールでなければという限定はなくて投げものなら木の枝だろうがなんでもよい。投げ物でもフリスビーが好きな子は気違いが多い。足を痛めようが、咬み損なって石を咬み歯が欠けようが顔を骨折したって止めない。しかも華麗なキャッチをする。犬でも花形選手である。吾輩も何でも投げられれば追いかける方であるが空中キャッチは絶対無理である。空中で捉えようとしてもボールやフリスビーと空中で衝突事故を起こすだけである。空中で体を捻ったり溜めができるなんて柔軟で繊細な動きは到底できない。たいていはころころと転がってからの物を追いかける。しかも勢い余ってボールより先にスライディングする。別段ジャンプ力がないわけではない。空中で体制を変えるなんて芸当ができないだけなのである。要するに体が硬いのだ。人間にだっておるではないか。パワーがあってもダサい動きしかできないものは。吾輩もそれである。一方水派であるが、水が好きな犬は多い。しかし純粋に水が好きな犬は意外に少ない。遊びでばしゃばしゃ泳いでいる犬はたくさんおるが、どこまでも、遠くに泳ぎ続けようとする犬は吾輩だけである。なぜと問われると困るのだが、とにかく泳ぎ続けたくなる。今日も気が乗ったので泳いで行ったのだが、案の定あんぽんたんの警戒網に引っかかった。遠くからあんぽんたんの怒鳴る声が聞こえたのでいつものように仕方なく戻った。
 犬パーティーでお出かけとなればバーベキューである。吾輩の定位置も決まっている。火の元直下である。健康管理なんてこの日はなしだ。肉にたっぷり香辛料やたれがかかっていたってお構いなしに食べる。パブロフの犬だろうが下は土だ。誰も文句を言わない。たっぷり食ったら午後もドボンである。日が暮れたら帰る。なんと健康的な一日だろう。帰りは細君も吾輩もいびきをかきながら車の後ろで重なって爆睡する。高速道路は大渋滞だったらしいがあんぽんたんは黙々と眠気を抑えながら一人運転して帰ったらしい。
 自分に肩書ができるのは気に食わないくせに吾輩に肩書を付け加えるのが大好きなあんぽんたんは色々な資格を吾輩に取らせた。初等、中等、高等、大学と順当に訓練科目の資格を上り詰める。これじゃ人間様のお坊ちゃまのお受験人生とかわらんじゃないか。取りも取ったり、資格という資格をとった。ほかに何も取るものがなくなったら、とうとう今度は同伴犬なる資格を吾輩は取らされた。ただただじっと座って待っていればいいだけなのでこれは吾輩に取ってもっとも得意中の得意である。めずらしく一発通過、という結果だ。なんでも継続は力なり。こうやって資格を取り、競技に出まくれば、まぐれでたまにポイントを取ることもある。ちまちまと地道にポイントを稼ぎ、あんまりにもたまにしかポイントが取れないので、ポイントの事なんかすっかり忘れたころ、例の五位の結果が利いてどどんとポイントがたまった。ポイントは溜まるといいことがある。とうとう吾輩はチャンピオン犬になったのである。ポイントが溜まるとチャンピオン犬になれるのだ。チャンピオン犬と言っても色々あるらしく、トレーニングチャンピオンとか言うものを取ったらしいが、血統証なる紙っぺらに書き込まれた資格証明を見つめながらあんぽんたんが一人書斎でにやにやしていたところを見ると、人間には結構いいものらしい。だが主よ。いつも紙っぺらを持って歩くわけにはいかないぞう。八分の吾輩はどこまでいったって八分だ。しかも一番やる気を出して八分だ。吾輩を見てチャンピオン犬なんぞという御立派な犬だとはだあれも思いやしない。無駄な努力だったと思い知りなさい。だいたい吾輩には何の利益もないのだ。つまらん。
 しかしチャンピオン犬まで取ってしまうと、いよいよ今度こそ本当に何もやることが無くなった。とうとう主は臭気選別なる訓練を邪悪なる訓練士に頼むようになった。なにやら警察犬の匂いでもしてきそうな訓練で、吾輩これが大嫌いである。いつもは八分だが、こいつばかりは一分でも御免こうむりたい。やることは訓練の中でもこれが一番単純かもしれぬ。匂いのついた布きれを嗅がされ、離れた場所に置いてある板に挟んであるいろいろな別の匂いのついた布切れや何も匂いのしない布きれの中から同じ匂いの布きれを探して持って帰ればいいだけの事である。しかしこれがやっかいだ。間違えると何度でも見つけてくるまで同じことを繰り返すのだ。ところが真面目にやらないと正解しない。要は八分ではだめなのだ。八分以上で真剣にやらないと見つけられない。当たらなければ同じことを繰り返す。イエスかノー、中間がない。これは中庸をモットーとする吾輩にはまったく不向きな競技なのだ。しかもまたもや競技会に出るという。普通の競技は五位を取ってしまったので、もうこれ以上は望めないと諦められていたので、その代わりにと言うわけだ。たまったものじゃない。結果は散々だ。あんぽんたんは早々にこの競技を諦めた。なかなかこの点では主は先見の明がある。ところがどういうわけか、それまで競技会なんぞというものにまったく興味を示さなかった細君が俄然、「わたしがやる。」と言い出したのだ。ま、待ってくれ。吾輩細君には忠誠を誓っている。あんぽんたんなら駄々をこねて誤魔化せる。細君は容赦ない。吾輩は逆らえない。どうしたらいい。どうしたって結果は一緒だ。それでも細君、諦めてくれない。これは終わりのない話になりそうなのだ。困った。
 ともかく訓練はあんぽんたんから細君にバトンタッチした。やることのなくなったあんぽんたんは、臭気選別をやるようになってからやたら警察犬の訓練に興味を示すようになって、訓練士にあれこれ質問をしている。
 その日も朝早くからあんぽんたんは吾輩を連れ出した。何だか知らないが車でそこら中をうろうろ走りまくっている。道を知らないのか間違えたのかむやみやたら走っている。今時カーナビでもつければいいのに頑固に地図を使う。しかもメモを見て、「ああ、あそこか。」とすぐ走り出す。ところがいつもいい加減にメモを見るから別の場所を一生懸命走り続ける。今日もその口のようだ。まあ、どっちにしたって吾輩、車の中では寝てるだけなのでどこをどう走ろうとどうでもよいのだが、暇だ。腹でもだしてごろごろしていよう。朝から出たというのに、とうとう午後もだいぶ過ぎてから目的地に着いた。長野県の霧ヶ峰高原、霧ヶ峰スキー場とかいうところらしい。着いたら人間と犬だらけだ。なんでも警察犬協会の競技会場とか言っている。また競技会である。あんぽんたんも好きである。「出場頭数、九百頭か、すごいな。」と感心している。
 いつもの訓練士も出場しているらしく、あんぽんたんが探したが、とにかく会場が広い。見つからない。ひとつひとつの競技会場がかなり離れているので主はひいひい言いながら歩き回っている。最初に襲撃と警戒の会場に行き、次に選別の会場を探した。近場にはいないようなので諦めて協会の人に訓練士の居場所を聞いている。追及の会場にいるという。離れているから車で行けという。ようやっと着いたと思ったらまた車に乗せられた。
どうやらこのスキー場の横の試験会場は牛の放牧地かなにかを利用して行っているようだ。土が柔らかくってぼこぼこしている場所がある。どうやらここはどこぞの犬が牛のうんちがいっぱい散らばっているところで嬉々として転げまわり飼い主におぞましい叫び声をあげさせたという場所と同じような場所に違いない。匂いがプンプンする。これは楽しい。走り回ることにした。しかし我らを見つけるとお馴染みの訓練士が飛んできて、「試験会場では犬はいつもリードで繋いでおいてください。」と言う。どうやら警察犬の競技種目に出るような犬と言うのは、例の吾輩の五位の訓練会に出る犬どころではないらしい。超デリケートな犬のようだ。吾輩を呼び戻すためにあんぽんたんが、「戻れ。」なんて声を発するなんてことはいけないどころか、競技場の周りでは私語厳禁。競技者の支持の声以外何も聞こえない。その周りでちょろちょろ動き回るなんてもっての外だ。
 リードで繋がれて丘の上に上がっていったら、牧草地でその超繊細な犬君の足跡追及の競技をやっていた。とにかく周りの影響がなく、かつ一度使った会場は他の試験を受ける犬には使えず、一頭で一回のみしか使えないのだそうだ。そのため一頭で試験に使用する場所が広く必要とかで、人や犬のいない離れた場所で試験を行わなければならないのもあって、見て回るだけでもえらく大変だ。吾輩は気持ちのいいところなので走り回りたかったが繋がれている身では諦めた。丘の上まで行くと辺り一面広々として一望でき吾輩の心をうずうずさせる場所なのに残念。
 訓練士は運営側らしく忙しいのでその後は適当に会場を見に渡り歩いた。足跡追及や警戒の襲撃などはシェパードが圧倒的なシェアだ。もしかしたらビビりも超一流かもしれない。一般の服従科目や臭気選別にはいろんな犬族共が集まっていた。犬がいっぱいいるところは楽しくてよいが、できれば吾輩には永遠に縁のないところであってほしいと願うばかりだ。しかし縁を切ることはできないかもしれない。
 あるとき、「あの警察犬のワッペンが欲しいなあ。」とあんぽんたんが呟いた。すると、「いいですよ。僕が警察犬協会の会員に推薦してあげますよ。」といとも簡単に訓練士が引き受けてくれた。しばらくしたら警察犬協会員証のプレートが送られてきた。そして我が家の入り口に神々しく鎮座している。これで吾輩は晴れて警察犬となったのだ。苦節何年やら、雨にも負けず風にも負けず、忍び難きを忍び耐えがたきを耐え、訓練士のしごきにも負けず手に入れたのだ。しかし実にあっけなく警察犬になった。自覚はない。これ以上の縁はできないことを祈る。
 水が好きである。しかし雪も譲り難い。雪が降る日のきんとした空気が好き。踏みしめる音しか聞こえない静寂の世界。吾輩きらきらが好きなのだ。雪の降った日はさすがに藪には入らない、入れない。ただただ走り回って遊ぶ。あんぽんたんはかったるがって部屋から出てこない。こういう日は細君が元気だ。
 空も地面も白一色である。キラキラである。犬の目ではどうせ遠くは見えない。しかし動くものには敏感だ。空から白いものがいっぱい落ちてくる。きらきらだ。ぴょんぴょん、ぱくりぱくり。どんなにはしゃぎ回ったって熱くない。いくらでも動き回れる。細君が雪玉を投げる。こいつあ、お答えしなけりゃいけない。白一色だって投げたものははっきり見える。ぴょーんとキャッチ。どんなもんだい。ごろごろ、ごろごろ。雪の中転げまわったってこの日は怒られない。もっと投げて。
 雪は大好きである。やはり気が狂う。一面白と黒の世界にはっきり別れている。色の世界があると言われても吾輩にはわからないので、世界がすべて水辺のような映る世界は心躍る。足下の雪の感覚も冷たくて水のよう。どこまでも続く遊び場のようだ。

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