NEC PC-100 裏話
NECから発売されたPC-100という「幻の名機」と言われる
パソコンがあります。懐かしくて検索してみたらWikipediaぐらいしか
記述がもうない。Wikipediaを読んでみたらほとんど正史と
いえるような内容しか書いてなかったので書き直してみようと
考えたのですが、履歴を見てみたらほとんど削除されています。
どうもWikipediaは出典を重視しているみたいで諦めました。
当事者としては出典と言われても困るので。そこで勝手に
書いてみます。PC-100の発売までの話は結構有名でいろいろな人が
書いているのでそちらを読んでください。ここではPC-100の
ユーザーが苦労した話を書きます。
まず周辺機器などのハードウェアの話です。メーカーに見放された
機械ですからほとんどユーザーの自作かユーザー設計による
受注生産です。(出典は98+2というユーザーズクラブの会報からです)
1986.8.
2Dディスクだったので107人ほどで2DD共同購入(240台)。
変更手順付きで配布。
1986.9.
メーカーから発売していた増設256Kボードを640Kボードに
改造する人が現れる。
1987.01.
1Mメモリボード自作する人現る。
これらによってメモリ720Kフル実装できるようになりました。
このころというかこの後からPC-98などではバンク切り替えで
メモリを拡張しています。
1987.3.
漢字ROMボード自作。デバイスドライバー自作。
IO.SYSにパッチを当てたバージョンだとシステムコールで
そのまま第二水準漢字が使える。
1988.2.
受注生産した漢字ROMボード、30枚完売、10枚増産。
FM音源+MIDI端末付きボードとデモが走る。有志でボードを
その後も自作。
1988.3.
受注生産により、アイテムから
2HD+HDD インターフェイスボード発売。60以上の注文で生産。
最終枚数は確認とれず。
アイテムで販売される前にボードを自作した人がいた。
つぎにソフトウェアです。
正式には公開されませんでしたがこの機械にはTRONバイオスというのが
存在して、その中にTRONグラフィック・ドライバーというのがあります。
これをTurbo Pascalやその他のコンパイラー用にライブラリを作成して
利用していました。このグラフィックはBASICなどのグラフィックと同じ
属性値を持つタイプのグラフィックです。この手のグラフィックには
専門用語の名前がありますが忘れました。いわゆるカレント・ポイントや
囲まれた領域をフィルするタイプです。一通りのコマンドは揃っています。
特徴的なのは文字の回転、拡大縮小ができたことです。途中バージョンの
見切り発車でも公開されていればかなり状況が変わっていたかもしれないと
いう代物です。
ユーザーズクラブの会員某氏たちがNECにプッシュし、ダイナウェアが
頑張ってVJEがでました。このとき会員有志たちが発売を応援しようと
いうことでVJE共同購入。
MS-DOSの新版が出るたびに他の機種用のMS-DOSにパッチを当てて
PC-100用に改造していました。
PC-100を買った人は圧倒的にグラフィックに興味のあった人たちです。
コンパイラーなどが利用できるようになるとかなり初期からライブラリが
作られました。私もレゴ風アニメーションや2次元までのワイヤーグラフィックを
実装しましたが途中でネットワーク時代になりネットワーク対応に追われて
開発を中断しました。
ダイナウェア社のダイナデスクで原本を作成してDTP本「こんな素敵な
PC-100」を発刊(320ページ)。発行日を印刷し忘れたので発刊日が
わかりませんがDTP本としてはかなり初期にあたります。PC-100ユーザーは
ダイナウェア社には足を向けて寝られません。
どのような名機であろうと現実の世界では勝負に勝たなければ意味が
ありません。しかし選択の間違いというのはいつか是正されることに
なります。ゆえにNECが勝負に使った98は世界標準とはなりえず
消えて行ったのは当然といえます。今でもPC-100を伸ばしていれば
世界標準になりえたと思っています。
パソコンがあります。懐かしくて検索してみたらWikipediaぐらいしか
記述がもうない。Wikipediaを読んでみたらほとんど正史と
いえるような内容しか書いてなかったので書き直してみようと
考えたのですが、履歴を見てみたらほとんど削除されています。
どうもWikipediaは出典を重視しているみたいで諦めました。
当事者としては出典と言われても困るので。そこで勝手に
書いてみます。PC-100の発売までの話は結構有名でいろいろな人が
書いているのでそちらを読んでください。ここではPC-100の
ユーザーが苦労した話を書きます。
まず周辺機器などのハードウェアの話です。メーカーに見放された
機械ですからほとんどユーザーの自作かユーザー設計による
受注生産です。(出典は98+2というユーザーズクラブの会報からです)
1986.8.
2Dディスクだったので107人ほどで2DD共同購入(240台)。
変更手順付きで配布。
1986.9.
メーカーから発売していた増設256Kボードを640Kボードに
改造する人が現れる。
1987.01.
1Mメモリボード自作する人現る。
これらによってメモリ720Kフル実装できるようになりました。
このころというかこの後からPC-98などではバンク切り替えで
メモリを拡張しています。
1987.3.
漢字ROMボード自作。デバイスドライバー自作。
IO.SYSにパッチを当てたバージョンだとシステムコールで
そのまま第二水準漢字が使える。
1988.2.
受注生産した漢字ROMボード、30枚完売、10枚増産。
FM音源+MIDI端末付きボードとデモが走る。有志でボードを
その後も自作。
1988.3.
受注生産により、アイテムから
2HD+HDD インターフェイスボード発売。60以上の注文で生産。
最終枚数は確認とれず。
アイテムで販売される前にボードを自作した人がいた。
つぎにソフトウェアです。
正式には公開されませんでしたがこの機械にはTRONバイオスというのが
存在して、その中にTRONグラフィック・ドライバーというのがあります。
これをTurbo Pascalやその他のコンパイラー用にライブラリを作成して
利用していました。このグラフィックはBASICなどのグラフィックと同じ
属性値を持つタイプのグラフィックです。この手のグラフィックには
専門用語の名前がありますが忘れました。いわゆるカレント・ポイントや
囲まれた領域をフィルするタイプです。一通りのコマンドは揃っています。
特徴的なのは文字の回転、拡大縮小ができたことです。途中バージョンの
見切り発車でも公開されていればかなり状況が変わっていたかもしれないと
いう代物です。
ユーザーズクラブの会員某氏たちがNECにプッシュし、ダイナウェアが
頑張ってVJEがでました。このとき会員有志たちが発売を応援しようと
いうことでVJE共同購入。
MS-DOSの新版が出るたびに他の機種用のMS-DOSにパッチを当てて
PC-100用に改造していました。
PC-100を買った人は圧倒的にグラフィックに興味のあった人たちです。
コンパイラーなどが利用できるようになるとかなり初期からライブラリが
作られました。私もレゴ風アニメーションや2次元までのワイヤーグラフィックを
実装しましたが途中でネットワーク時代になりネットワーク対応に追われて
開発を中断しました。
ダイナウェア社のダイナデスクで原本を作成してDTP本「こんな素敵な
PC-100」を発刊(320ページ)。発行日を印刷し忘れたので発刊日が
わかりませんがDTP本としてはかなり初期にあたります。PC-100ユーザーは
ダイナウェア社には足を向けて寝られません。
どのような名機であろうと現実の世界では勝負に勝たなければ意味が
ありません。しかし選択の間違いというのはいつか是正されることに
なります。ゆえにNECが勝負に使った98は世界標準とはなりえず
消えて行ったのは当然といえます。今でもPC-100を伸ばしていれば
世界標準になりえたと思っています。
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