「吾輩は犬である」、その4



 けつの穴が塞がった。
 あんぽんたんは吾輩の食いっぷりを見て暇を見つけては用もないのに田舎に出張して牛骨を買ってくる。細君は吾輩のピッカピカの歯を見て歯の掃除の手間が省けると言ってショップで加工牛骨を買いまくる。そして吾輩のけつの穴は塞がった。
 「昨日からうんちが出ないのよ。いつもならご飯を食べて散歩に行くとすぐ出るのにおかしいとは思ったのよね。でもその後もご飯は普通通りがつがつ食べているから気にしないでいたんだけど今とうとうご飯も食べなくなったの。」
 「うーん、お腹が調子悪くて吐いたって何があろうと飯だけは食う奴が、そりゃ異常だな。」
 「そう思うでしょ。そのうえちっとも動こうとしないのよ。心配になってきちゃった。何かうんちが固まって詰まったのかしらと思ってお尻に指を入れて掻き出してもみたんだけど何も出てこないのよ。」
 「そりゃ先生に見せた方がよかないか。」
 というわけで熊五郎の所に行くことになった。夜だったので熊五郎もう一杯やっていい気分で出てくる。熊五郎一通り話を聞くといきなり鉗子なるものを取り出してきた。吾輩何をされるのか気が気ではないが主と細君に体を抑えられ、動くなと言われちゃ動くわけにはいかない。熊五郎の手は震えているじゃないか。けつの穴の方からばきっと音がする。さらにばきばき。見ると鉗子とやらの先に何やら堅そうな白いものが見える。続いて診察台の上に敷かれたトイレシートがうんちで山盛りになった。栓が抜けて雪崩が起きたのだ。主たちは何やら熊五郎に注意されている。吾輩すっきりしてすこぶる元気が出てきたので家に帰るとさっそくドックフードをたらふく食った。しかしこの後がいけない。なぜかこの事件の後ぱったりと牛骨が出なくなったのだ。しかも吾輩の大嫌いな歯磨きを毎日細君が必ずやるようになった。
 骨は堅い、
 そして犬は骨が好きだ、
 故にけつの穴は塞がる。
なんて三段論法を吾輩が理解できるわけがない。吾輩が理解できることは牛骨が吾輩の目の前に出ることがなくなった、気が狂うほどの煮汁すらお目にかかることが無くなったことだけである。決して納得がいくわけがない。しかし牛骨が吾輩の食卓に上がることは永遠に無くなったのである。
 吾輩の近況と言えば、牛骨以外は大したことはない。この頃寝るのは書斎に敷きっぱなしの布団の上で寝るようになった。大きくなって定位置の主人の首元からは追い出されている。この布団大変薄いので冬は大変寒い。あんぽんたんはそれにまったく気付いてはくれん。仕方ないのでご主人の分厚い布団の中に潜り込む。ご主人は馬鹿者、お前の場所はそこだと吾輩を引っ張り出しては薄い布団の上に戻す。また潜り込む、また戻されるの繰り返しをしているとあんぽんたんはあきらめてご主人の布団に入れてくれる。あんぽんたんは昔から吾輩に弱いのである。ところでこの薄い布団夏は逆にとてもちょうど良い。寝心地はあんぽんたんの上が一番いいので最初あんぽんたんと一緒に寝ている。そのうち大変熱くなる。そこでご主人をまたいで薄い布団に移る。ご主人、うとうとしているところを吾輩に踏まれる。特にみぞおちに決まると吾輩の足の大きさがドツボにはまって痛いのだそうだ。ちょいと体の熱がさめるとまたご主人のそばに戻る。また薄い布団に戻る。その往復のたびに足場を確かめ確かめゆっくり踏みしめて行く。とうとうあんぽんたんの堪忍袋の緒が切れ、ご主人むくっと起き上がり、吾輩をむんずと捕まえて放り投げた。なんと無体な。吾輩は王様に頭の上を歩かられようとご主人に足を踏まれようと尻尾が踏んづけられてもこれぽっちも文句を言ったことはない。理不尽である。断固抗議し、断固横断を断行し続けた。そしてときどきは切れたあんぽんたんに投げられるということで決着した。なになにそれならご主人の寝る場所の横にいつもの薄い布団を置けばいいじゃないかって。何をおっしゃる。それでは区切りがなくてけじめがないではないか。それはとてもすわりが悪い。けじめは大事である。なになにそんなにご主人の横にいなくてもいいじゃないかって。なんとおっしゃる。犬というものは誰かと常に一緒にいたいものなのだ。寝るときなんぞ特にだ。なにやら和犬というやつの中にはあんまり一緒にいるとうざくなってすっと離れていくというやつがおるという。とても信じられない行動だ。ともかくもこの件に関するお互いの主張は決着をみたので一安心。とても暑い日は廊下か畳の上に直接寝ることにしたので仕方なくそのときはあんぽんたんの横を放棄した。そののちも思い出したころに攻防戦は続く。
 我が家の餓鬼どもとの遊び方も変わった。何が楽しかというと他では絶対に許されない飛びつきが完全解禁されていることだ。やりたい放題である。フライング・アタックはお馴染みであるが、吾輩ライダーキックをやってみたいと思っている。ところが犬族にとって立ち上がり反り返ってジャンプするというのは不可能に近い。原理的に無理やもしれん。仕方ないので別の技を開発しようと思う。巷の噂ではヒップアタックという技を繰り出す御犬がおるそうな。この話の信憑性は高い。これは実に実にそそられる話なので一度拝見したいと思っている。如何にして技を繰り出すのかぜひ習得したい。しかしながら今のところはあんぽんたんの気が向いたときに吾輩を抱きかかえて実行する偽ライダーキックで我慢しておくことにする。
 相も変わらないのは我が家の来客者たちである。マッド・ドクターと蕎麦垣が、買ってきたヨーグルト・ドリンクの一リットルパックをごくごくと一気に飲み始めた。細君はびっくりして口を開けたまま目を白黒させて二人を見ている。主は胃弱なので見ただけで胸焼けを起こした。吾輩はうまそうなのでいつもの通りおこぼれを期待している。
 「そんなにいっぺんに飲んだら味も何もわからないのじゃないの。」
 「いや充分うまい。このくらい飲まなければ飲んだ気がしない。」
 「うん、うまい。」
 ドクターが紙パックを開いて吾輩に舐めさせてくれる。これだけで好感度が上がる。
 もうヨーグルトはよかろうと思っていたら、ドクターがプレーン・ヨーグルトに切ったフルーツを大量に入れてでかいボウルをいっぱいにした。蕎麦掻はジャガイモをこれまた大量に塩で煮込んでいる。本当は炭火で焼いてバタ焼きにしたいと言っている。これだけで食事する。この二人、味にはうるさくそれなりに美食家であるのだが、なにせその好みと量が問題だ。いつものように食材は二人で持参だし、この二人が揃っているときはだいたい手間いらずなので細君は楽なのであるが、付き合っていくのは大変である。だいたいのものは二人で平らげてくれるが、あんぽんたんなどはいつも胸焼けで食べきれない。仕方ないので後で細君に蕎麦を茹でてもらい、その後太田胃散をやはり飲んでいた。そして当然その蕎麦も二人は平らげる。食事後はこのメンバーだと、食べ終わったらテレビを見る、というパターンはないので、いつものように二人が洗いものまでして書斎に集まってごろごろしている。
 あんぽんたんの書斎は別段格式高い書院造というわけでもなくどちらかと言えば数寄屋造りとも言えなくはないようなよくわからん部屋である。なんたって床の間もなにもない、辛うじて書院窓が設けてあるだけの部屋なのである。この書院窓というのもただの壁を丸くくり貫いてむりやり障子を組み込んだだけのもので、あんぽんたんは「円は日輪に通ず」とどこかの似非坊主か何かのようにうそぶいている。ただし縁側はある。縁側も書院窓も南向きでこの家で一番いい一等地に設けられていることだけは間違いない。我が家でのあんぽんたんの扱いからすれば格段の待遇である。日当たりは良好、おかげで格好の転寝の場所になる。我が家の誰でも何もしたくないときはこの部屋で寝転んでいる。その点畳とは実によいものである。湿気もなく、体が冷えることもないし適当な温もりで肌触りも良い。あんぽんたんも誰かが寝転んでいたら黙って座机の横で本でも読み始める。もちろんすぐさま舟をこぎ始めて最後は必ず机にうつ伏してよだれを垂らすこと間違いなしである。要はみんなこの部屋ではボーとしているのである。勉学にはまったく不向きと思えるが、とにかくごろごろするのには良い場所である。
 「この間(黒シャツ)が(うらなり)って奴を紹介してくれたのだが知っているかい。」
 「いや知らん。」
 「なんでもここの話を(黒シャツ)から聞いて面白そうだから紹介してくれと頼まれたというのだが、どうも変な奴で、先日ふらりと一人でまた訪ねてきたんだ。なんやかんやと下らん話をしてなかなか帰らなかったのだけれど最後に金の無心をしてきやがった。」
 「ほほう、君に目を付けるなんてなかなかお目が高い。あるいはとんでもない間抜けだな、そいつは。それで貸したのかい。」
 「貸すわけあるかい。適当に断って帰ってもらった。まったく大した心臓の奴だった。」
 「まあ(黒シャツ)の知り合いでは変な奴もいるさあ。」
 自分たちもその黒シャツの知り合いの一人であるに違いないのであるが、どうも自分たちだけはまともな種族と思っているらしい。
 いつの間にか来ていたパー子が細君といっしょに夕食の支度をもう始めていた。飯の匂いを嗅ぎつけたらその傍にいるのが犬の常道。最近はドック・フードばかり食べさせられている。よくくれたキャベツの葉っぱも犬には毒なものが混じっていると何処からか聞きつけてからはすっかりご無沙汰である。白菜はまだときどきいただける。細君がほうれん草の根っ子が嫌いなのでこれは吾輩に来る。何にせよ足元でうろうろしていなければ頂けるものも頂けない。ゆっくりとまた来たかと思われる程度に近づくことにする。
 「おばさん、わたしね、昔男に騙されたことがあるんだ。」
 おお、おるおる、わが犬族にもスケベな奴、意地の悪い奴、嫌味な奴というものはおる。しかし騙す犬というにはおらんな。誤魔化す奴はおるが、今一つ騙すというのはわが犬族の属性にはないようなので理解に苦しむ。まあいけ好かない奴は無視するか一発ガツンと絞めてやるに限る。
 「ふうーん、それでどうしたの。」
 「うん、それでね、そいつ同級生だったもんだから、それからあることないこと言い触らされちゃって学校に居づらくなっちゃったんだ。」
 「そうか、なんとなくね、何かわけでもあるのかなあとは思っていたのよねえ。」
 「だからそれから男の人はどうも・・・、その点わんちゃんはいいですよね。決して裏切らないし。」
 「だめだめ、この子達は飯繋がりよ。食べるものくれるんなら誰にでも付いていっちゃうし。」
 「ひどい。そんなことないですよ。いつも一緒で傍離れないじゃないですか。」
 吾輩が食卓の下に居るというのに我が犬族を馬鹿にするとは実に怪しからん。我らは人間のように薄情ではない。決して家族を裏切るようなことはしない。誠実を絵に描いたような存在である。人に利用されることはあっても人を利用するような知恵は持ち合わせておらん。
 しかし人間の話は色恋沙汰、男女の話ばかりだ。犬パーティの犬の話三昧などはかわいいものなのだろう。二人はいんげんのすじを取りながら男の悪口を言い合っている。吾輩には色恋沙汰の話はちんぷんかんぷんなのでよくわからん。そもそも犬の色恋沙汰などは人間が牛耳っていて好きなメスに近づくことすら吾輩等にはままならぬ案件である。よって手練手管やその機微など知りようもない。そもそも我が社会は強い者勝ち、すべて強いものが手に入れる、単純そのもので何を悩むのか理解に苦しむ。適当に盗み聞きしながらいつものように腹を出してごろごろしていたらパー子が腹を撫でてくれた。お礼にちょっと手を舐めてやったらパー子が吾輩の頭をぽんぽんと叩いた。
 おう、そういえば犬でも雌犬を独占したがる奴がいたのを思い出した。特に吾輩が近づくと待ち構えていて必ず襲ってくるというとんでもない輩だ。吾輩来るものは拒まずの犬であるので、そんな襲ってくる馬鹿者でも排除したりはしない。おかげで他の犬からも特に嫌われずそこそこの人気はあるようである。雌犬にも毛嫌いされるようなことはない。まあそれに序列もそんなに低い方でもない。そのためか、チャレンジで襲ってくるのか自分のものと思っている雌犬を奪われたくないと思ったのか必ず襲ってくるという奴だ。そういえば他の雄犬にも襲いかかっていたか。まあ、どの世界でも馬鹿者というものはおるということだ。それが雄ともなると自分が一番になって雌だけのハーレムを作りたがる。そのようなものは吾輩に一撃を食らわしたボクサーのように最初に一発有無を言わさずガツンとやって望みを絶ってやるのが犬社会の安定のためには最良の策なのであろう。しかし吾輩はそこまでは強くない。そのうえ自分から仕掛けるなどはめんどくさくて仕方がない。第一そんな勝手なことしたらあんぽんたんに何をされるかわかったものではない。しかしちょっとだけ強いというのは常に隙を狙われて待ち構えられることになる。そして吾輩は隙だらけである。うざいことこの上ない。吾輩ハーレムなどまったく関心がないのにだ。そのうえ吾輩は犬の怖いお姉さんにはめっぽう弱い、役立たずである。雌だろうと雄だろうと周りに仲間がいっぱいいる方が楽しいのに、そんな奴はどうもわからないらしい。吾輩はときどき、みんなが匂いを嗅ぎまわり終わった後にこっそり一匹で目当ての子に近づきゆっくり匂いを嗅ぐことができれば満足なのである。こんな天然の平和主義者に向かって転覆をはかったところで、もっと強いものに襲われて三日天下に終わるのが落ちである。仕方ないのでそのうちわかるだろうといつもこの手の輩は放っておくことにしている。まあ弱肉強食の世界だから自分だけの社会を作ろうと誰も気にもしないが。そんな世界が羨ましいのなら奪い返してしまえばいいだけのことだ。それこそ我らの掟だ。しかし我が犬族にも仲間と思っている犬同士はいるのだ。当然待遇が違ってくる。仲間が何かおかしいことになっていると心配にもなってくる。我輩はそっちの方が好きなだけだ。ただしあんぽんたんはこんな馬鹿者がおるときはいつも警戒態勢をとって吾輩の肩代わりをしておる。おかげで吾輩の方は余計警戒心がなくなって間抜け状態である。だから吾輩が間抜けなのはあんぽんたんのせいである。
 だが雌の匂いというものにはなかなか抗しがたいものがある。特に匂いが絶品のときがある。そうなるともうクラクラである。あるとき特にいい匂いした雌が夜パーティーに来たことがある。並み居る雄どもはわっと集まって雌犬のお尻を嗅ぎに集まった。吾輩も末席にいる。大人しい子なので咬みついたり蹴散らしたりしない。雌犬は逃げ回り座ってお尻を隠したが、雄犬どもは鼻の頭で土を掘り返してでも追及をやめない。とうとううんざりしたその子は突然走り出した。家に帰ろうとしたらしい。びっくりしたのは飼い主たちである。走って逃げる子を追いかけて雄どもが全員追いかけた。集団の大半が走っていくと残った犬も全員走り出した。いつもはだらだら勝手に動いている我らもいったん事が起きれば何だかわからなくても集団行動するのが我ら犬族である。しかし犬どもが向かった先は車の往来が激しい道路の方向である。飼い主たちはそれにただちに気付き黙って猛ダッシュした。吾輩もちんたらちんたら後を追った。そうしたら後ろの方であんぽんたんが怒鳴っている。足の遅い主が必死に走って追ってくる。仕方ないので吾輩は止まって待った。特に怒られはしなかった。しばらくして飼い主たちが犬を連れてぜいぜい言いながら戻ってくる。道路の手前寸前で雌犬を取り押さえたようだ。全速力の犬に追いついたのであるから人間どもの中にも早いものはいるようだ。そのまま雌犬は家に帰ったようだ。どこかのネズミではないがもう少しで犬の集団自殺という新聞ネタになるところであった。実に匂いは恐ろしい。
 今日は朝早くからあんぽんたんは蕎麦掻と出かけた。何だか知らないが吾輩も連れ出された。高速に乗って延々走り続け、いつものように用のないときは寝てるに限ると吾輩は車の中で寝ていたが、どうやら千葉の山奥辺りにたどり着いたらしい。ところが、小高い丘という感じの山の麓の駐車場に着いて、ようやっと吾輩の時間とばかりに尻尾を振っていたら車の中に缶詰にされた。吾輩はどうもだしに使われたようだ。細君に気取られないように、吾輩が行かれるようなところに行くという風な格好にしたようだ。おかげでこの日一日吾輩には何の利益もなかった。
 駐車場に着くと二人はすぐ迷彩服に着替え始めた。遠くで「ぱぱぱぱぱぱ」と何かが連射されるような音がする。なんとも如何わしい雰囲気は、どうやら例の怪しい話の実行をまさに今行おうとしているようだ。
そこで車中での二人の会話を思い出した。ここはサバイバルゲームとか言うものをするところらしい。エアソフトガンでバイオBB弾とかいう弾を敵味方に分かれて打ち合って遊ぶらしい。本家本元のアメリカのエアガンは専用ガスを使った口径の大きいペイント弾を使うようなのだが、日本のエアガンにはガス圧か何かに規制があるらしく威力がない銃と弾を使わなければならないとかで、車中二人はぶつぶつ言っていた。
 でっかいガンケース。ペイント弾でなくBB弾を使うので当たったことがわからないといけないということでヘルメットではなくてキャップをかぶる。ウェアは一応SWATタイプではなくて自衛隊の迷彩服仕様。マルチカム装備のプレートキャリアとそれに付けるマガジンポーチなどがずらりと並ぶ。ゴーグル、グローブ、ブーツも凝っている。その他、ニーパッド、トランシーバ、バッテリーセット、大量のBB弾、あー、もう止めよう。最後はガンだ。東京マルイ社製電動ガンM933コマンド、光学スコープ、300連マガジン付きときた。確かにこれは秘密裏に行わなければだめだった。とてもじゃないが細君の許可が下りる話じゃない。はなっから、まったくもって、全然ダメな話である。秘密裏に行ったあんぽんたんと蕎麦掻の判断は正しい。しかしあんぽんたんにそんなことをする度胸があったとは恐れ入った。発覚した場合はどうするつもりなのだろう。先の事は考えていないか。
 とかく何をするにも形から入るあんぽんたんである。その点、蕎麦掻も負けず劣らず頑張っている。いったいどのくらいの大枚をはたいたのか。
 「いいかい、後でもらってくるマーカーの腕章を必ず付けること。敵と味方の識別ができなくなるからね。それと当たったら「ヒット」と言って大げさに騒いですぐセーフティゾーンに戻ること。戻るときはしゃべるのも何もするのも禁止。とにかくどんな形で当たってもすぐセーフティゾーンに戻る。いいね。」
 「よし、わかった。」
 「後は君は初心者なのだから打って打ちまくれ。ただしマガジンの交換の時は狙われるから気をつけろ。」
 「うん、わかった。」
 新米兵士よろしくちぐはぐなままフィールドに向かっていった。駐車場からでも、すでに別のチームがゲームを始めているのか、周りが騒然としていて何か楽しそうなことをやりながら動き回っているのだけはわかる。人間様が楽しそうにしているのに、それに一枚加わらないなんて法はない。断然吾輩も一緒になって駆けずり回ろうと思って、自動車の中でしっかり立って、尻尾ふりふり、やる気満々の所をあんぽんたんに見せたのだが、非情にも一瞥も加えず、いつもなら車の中で縛ったりしないのに安全ベルトに吾輩を縛り付けてさっさと行ってしまったのである。吾輩が脱走して遊んでいる人間どもの間に突撃し、山を荒らしまわるのを恐れたようだ。正に吾輩はだしでしかなかったのである。
 しばらく期待して車の中から山を見つめていたが、だめなものはだめである。無駄なことはするものではない。すぐに車の中で寝て待つことにした。昼ごろになったら二人は帰ってきた。なにやら相当動き回ったようだ。しごき役の悪役軍曹にぴったりな蕎麦掻はともかく、運動なんてからっきしのあんぽんたんには相当厳しいことをやってきたようだ。どこが痛い、あそこが痛いとぼやき続け、帰りは運転してくれと蕎麦掻に頼んでいる。それでも吾輩に飯を食わせ、自分たちも食事して少し休んだらまた吾輩の所に戻ってきて、駐車場の周りをおしっこに連れ出してくれた。そしてなんと午後も山に立ち向かっていったのだ。どこにそんな気力があったのかと少しあんぽんたんを見直したが、やはり吾輩は置いてきぼりなので今度は見送りもしなかった。よって実況中継はできないので、中の様子は勝手に想像していただきたい。
 いささか寝るのも飽きて外の真っ赤な夕日をぼうーと見つめていたらやっと二人が帰ってきた。一応出迎えはしてやった。蕎麦掻は相変わらず元気である。なにやらいろいろとあんぽんたんに話しかけているが当の本人はほとんど上の空である。それでも吾輩をまたおしっことうんちに連れ出してくれた。帰りの車中、吾輩と主は車の後ろで重なり合って爆睡し、蕎麦掻が黙って一人で運転して帰った。吾輩が夢の中で祈ったのは、必ずばれるであろうその暁に吾輩には決してとばっちりが来ないようにと願ったということだ。かなりうなされていたようで、吾輩が引きつった足で主の顔を何度も叩いていたと後で蕎麦掻があんぽんたんにちくった。

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